人生は溝だらけ

今から書くのは、ニート生活の忘備録である。

今日までの私は実はニートだったのだが、明日から新しい職場で仕事を始めるので(短期ではあるけれど)、短いとも長いとも言い難い今日までのニート生活についてを少し書き残しておこうと思ったのだ。


そもそもなぜニート生活が始まったのか。たった一言で言ってしまえば、コロナのせいである。もう少し長く言えば、私にはやりたいことがあって、それと両立するために悩んだ結果 派遣という働き方を選んだから…だろうか。とにかく、コロナが今よりもっと猛威を奮っていた頃に、私は仕事がなくなった。(私は地方に住んでいる)


私は実家に住んでいるのだけれど、家にお金を入れられないことがこんなにも辛いとは思わなかった。何かを食べる、水道の蛇口を捻る、昼間電気を点けて家で過ごす。究極に言えば、ただ生きているだけでお金が掛かる。そのお金を少しも負担出来ず、両親が働いて得てきたくれたお金で生きるための全てをまかなっている20代前半の自分が情けなかった。そうなってくると、「何がしたい」ということを口にすることが出来なくなった。アイス食べたいな〜とか、そんなことすらも言えなくなった

 

仕事が思うように決まらなかった時は、求人を見ていても「世の中にはこんなに仕事があるのに、私は誰にも必要とされないんだ…」という思考回路にしかならなかった。書いてある仕事内容や給料については結局ひとつも頭に残らなくて、落ち込むために求人を見ていた。


そんな中で、私はこのブログを開設した。

きっかけになったのは、「華丸大吉&千鳥のテッパンいただきます!」というテレビ番組での、R指定さんの日本を元気にする即興ラップだった。


何度も書いているけれど、私はCreepy Nutsの『未来予想図』「世間と自分との溝に針落としてこそ始めて音を奏でるのが俺のHIP HOP」というリリックに衝撃を受けた。


世間との溝。働いている人たち、働いていない私。ものすごく溝を感じた。

だから刺さったのかもしれない。例え働いていたって、元来不器用な私はたくさんの溝を感じてしまうけれど、ここまで突き刺さることはなかったのかもしれない。少なくとも、針を落とすようにキーボードを叩いて、文章を書こうとすることはなかったと思う。

 

じゃあ良かったのか?いや、良くなかった。悪いことだけではなかっただけだ


とりあえず、一旦ニート生活が終わる。

明日からはもっと小さい、細かい溝について書けるようになりたい。溝だらけなのはもう分かっているのだ。今までだってそうだった。だったらせめて書くしかない。


とにかくおやすみ。明日は早起き。