ヒーローはメロンパン

ニートを脱し、新しい職場に勤め始めて1週間が過ぎた。


とりあえず仕事の内容は覚えられたし、同じ班の人たちは優しいし、何とかやっていけそうな感じだ。やってしまった失敗と言えば、職場まで向かう朝の通勤ラッシュの中、反対方向の地下鉄に乗ってしまったことくらいだろうか。でも遅刻はしていないので、失敗にはカウントしないことにする。


新しい仕事を始めて5日目の金曜日。お昼ご飯にメロンパンを食べることにした。

パン屋さんに売っているものではなく、スーパーのメロンパン。いつもお昼は母が作ってくれたお弁当を食べているのだけれど、無性に甘いもの、それもメロンパンが食べたくなり、前日から買っておいて仕事に持って行った。


その日はメロンパンだけを楽しみに、午前中の仕事を頑張った。メロンパン、メロンパン…と頭の中で唱えているだけで、驚くほど力が湧いた。


そしてついにお昼休み、


メロンパンってこんなに美味しかった??????!


私はもともとメロンパンが大大大好きだ。でも太りたくなくて菓子パンをあまり食べないようにしているので、かなり長い間メロンパンを口にしていなかった。特にニートになってからは、運動をしないので食べ物のカロリーを消費出来ない!& 働いていない私が何かをしたいと口にするなんておこがましい…という思考のせいで、メロンパンなんてもってのほかだと思っていた。


働いているから食べられるメロンパンは、心の底から美味しかった。冗談じゃなく、涙が出そうだった。


よって私は、毎週金曜日をメロンパンの日に制定することにした。1週間のゴールテープ目前の金曜日のお昼には、必ずメロンパンを食べるのだ。

 

 

何で働かなければいけないんだろう?と思うことがある。お金のため、生活のためだというのは分かる。すごく分かる。でも、これは本当にしたいことじゃないのになぜこんなに時間を費やしているの?と思ってしまって、じゃあ生きるって何なの?と思ってしまって、それが最終的には人生って何なの?という大問題に発展してしまうこともある。(あくまで超わがままな私の場合には)


でも、金曜日をメロンパンの日に制定した今の私は、なぜ働くのかの答えを1つ見つけた。

金曜日にメロンパンを食べるため。例え仕事が本当にしたいことでないとしても、とりあえず昼休みを楽しみに待って。お金のためだと無理矢理割り切るよりも、その方がずっと楽だし納得が出来る。単純すぎる自分に気が付いた1週間目だった。

 

 

何で働かなければいけないんだろう?という疑問から私を救うヒーローは、メロンパンだった。


じゃあ、生きるって何なの?という大問題から私を救うヒーローは誰なんだろう?何なんだろう。

人生は溝だらけ

今から書くのは、ニート生活の忘備録である。

今日までの私は実はニートだったのだが、明日から新しい職場で仕事を始めるので(短期ではあるけれど)、短いとも長いとも言い難い今日までのニート生活についてを少し書き残しておこうと思ったのだ。


そもそもなぜニート生活が始まったのか。たった一言で言ってしまえば、コロナのせいである。もう少し長く言えば、私にはやりたいことがあって、それと両立するために悩んだ結果 派遣という働き方を選んだから…だろうか。とにかく、コロナが今よりもっと猛威を奮っていた頃に、私は仕事がなくなった。(私は地方に住んでいる)


私は実家に住んでいるのだけれど、家にお金を入れられないことがこんなにも辛いとは思わなかった。何かを食べる、水道の蛇口を捻る、昼間電気を点けて家で過ごす。究極に言えば、ただ生きているだけでお金が掛かる。そのお金を少しも負担出来ず、両親が働いて得てきたくれたお金で生きるための全てをまかなっている20代前半の自分が情けなかった。そうなってくると、「何がしたい」ということを口にすることが出来なくなった。アイス食べたいな〜とか、そんなことすらも言えなくなった

 

仕事が思うように決まらなかった時は、求人を見ていても「世の中にはこんなに仕事があるのに、私は誰にも必要とされないんだ…」という思考回路にしかならなかった。書いてある仕事内容や給料については結局ひとつも頭に残らなくて、落ち込むために求人を見ていた。


そんな中で、私はこのブログを開設した。

きっかけになったのは、「華丸大吉&千鳥のテッパンいただきます!」というテレビ番組での、R指定さんの日本を元気にする即興ラップだった。


何度も書いているけれど、私はCreepy Nutsの『未来予想図』「世間と自分との溝に針落としてこそ始めて音を奏でるのが俺のHIP HOP」というリリックに衝撃を受けた。


世間との溝。働いている人たち、働いていない私。ものすごく溝を感じた。

だから刺さったのかもしれない。例え働いていたって、元来不器用な私はたくさんの溝を感じてしまうけれど、ここまで突き刺さることはなかったのかもしれない。少なくとも、針を落とすようにキーボードを叩いて、文章を書こうとすることはなかったと思う。

 

じゃあ良かったのか?いや、良くなかった。悪いことだけではなかっただけだ


とりあえず、一旦ニート生活が終わる。

明日からはもっと小さい、細かい溝について書けるようになりたい。溝だらけなのはもう分かっているのだ。今までだってそうだった。だったらせめて書くしかない。


とにかくおやすみ。明日は早起き。

狭き門

今日確信したことがある。私は洗濯物を干すのが嫌いだ。洗濯機を回すのも、洗濯物を畳むのもそんなに苦には感じていないけれど、その二つの間にある「洗濯物を干す」という工程は私にとってかなり苦だ。もしかしたら全家事の中で一番嫌いかもしれない。

 

なぜこんなに嫌いなのか?

それは、洗濯物を干すことが「針に糸を通したいのになかなか通らない」、あの感覚に似ている気ようながするからだ。


いやいやそれは違うでしょ、あなたが不器用なだけでしょうって思った人!絶対にいると思うし、私の母にこの話をしたら絶対にそう言うと思う。そうだ。私はものすごい不器用なのだ。


私の家は、木から伸びた枝が円状に広がっているみたいな形の洗濯物干しスタンドを使っている(伝わる??)その枝のところに洗濯物を引っ掛けていくスタイルなのだが、Tシャツの袖を上手く通せなくていつも何回もやり直す。そう、まさに針に糸が通らないイライラ感!!!!!あれを感じる。

それでも頑張って干し続けて、「よし、あと少しだ!」という時になって干す場所(枝)が足りないことに気付く時がある。そんな時、洗濯物のあの湿った感じがたまらなく嫌だと感じる。湿った感じで私を馬鹿にしているようにしか思えない。干す前の洗濯物は濡れているのが当たり前なのだから、言い掛かりにも程があるのは自分でも分かっている。でも、その瞬間だけは本気でそんなことを考えてしまう。


「針に糸を通したいのになかなか通らない」

それは、行きたいところに行けない、というのに近い気がする。受験に受かってあの学校に通いたいのに、あの賞を取りたいのに、あの子のようになりたいのに、それが叶わない。針の穴が小さ過ぎて、あまりに狭き門で、なかなか向こう側に行くことが出来ないもどかしさ。きっと誰もが感じたことがあるはずだし、洗濯物を干していると何だかあのもどかしさが蘇ってくるよう……


と、ここまで文章にしてみて気が付いた。私にとっての狭き門が洗濯物の袖を通す細い枝なのか??それに、洗濯物を干すだけのことがここまで飛躍してしまっているのか!??なんというか、私は改めて救いようもない不器用だ。技術的にも、精神的にも


だからもうネタにしてしまう。こうやって書き残すことができれば、救いようもない不器用がほんの少しだけ救われる気がする。

「世間と自分との溝に針落としてこそ始めて音を奏でるのが俺のHIP HOP」

じゃないけれど、少しだけそんな感覚。


梅雨に入ったから、これからは部屋干しばかりになる。そうだ、音楽を聴きながら洗濯物を干すことにしよう。ただでさえ時間が掛かっているのに、もっと時間が必要になるのは間違いないけれど。


でもそれでいい。どんなことでも楽しい方がいいに決まっている

 

 

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ビッグマック発作

どうしてもビッグマックが食べたい!!!そんな感情になることってありませんか?


ハンバーガー食べたいでもなく、マック食べたいでもなく、ビッグマックが食べたい。ここ30分くらい、ずっとその感情が抑えられない。もちろんポテトも食べたい。苺のシェイクも飲みたい。でも、メインに来るハンバーガーはどうしてもビッグマックじゃないとダメ。30分間ずっとそんな感じ。


ビッグマック食べたいほど強い感情ではないけれど、マックで働いてみたいと思うことがある。日本中にお店があって、結構な頻度でお世話になっていて、美味しくて、行って嫌な気持ちになることなんて絶対にないマック。もちろんめちゃくちゃ大変なお仕事だと思う。一応飲食店勤務の経験がある私でも、あの行列やキッチンのスピード感には太刀打ちできる気がしない。それにもし一緒に働く人が意地悪だったら辛いと思うし、簡単に働いてみたいなんて言わないでくれ!と今マックでお仕事をしている人に思われてしまっているかもしれない。私も飲食店に勤め始めるまでは、店員さんの気持ちなんて少しも分かっていなかった。

でも、バイトを募集しているのを見つける度に、マックのお仕事を経験するチャンスが私にもあるんだなぁと思う。やってみたいと思えることが意外とたくさんある自分に気付かされる。なのに、その中で実際に手に出来るものって案外少ない気がして、少し悲しくなった。


やりたいことをやる。

それじゃダメだと言う人がいる。それでいいんだと自分では思っていても、だんだんそれじゃダメな気がしてくる時もある。結局、その時々で自分が思っていることがその時の自分にとっては正解なんだと思うしかないのかもしれない。答えなんて出ないし、人が出してくれる答えはどうせ信じない

 

とにかく今の私はビッグマックが食べたい。この“ビッグマック食べたい”を叶えるために、今はマックではない場所で働く。今この時は今この時の自分を大切にして、いつかその時はいつかその時の自分を大切にするのだ。

今でも6月病

6月になった。つまり、5月が終わってしまった。早いな、もう暑いな、なんて考えていたら、一つ思い出したことがあった。


高校1年の6月に入ってすぐの頃、担任の先生との二者面談があった。これは私が悪いことをして呼び出されたという訳ではなく生徒全員に対して行われていて、「高校に入学してちょっと経ったけど、どう?慣れた?」という雰囲気のものだった。


私が入学した高校は、キリスト教系の女子校だった。さぞかしお淑やかなお嬢様学校だと思われてしまいそうだし、私も入学する前までは自分が通う学校に対してそんなイメージを持っていた。けれど、いざ入学してみたらそれは違った。ワイワイ、というよりもかなり騒がしい雰囲気で、単刀直入に言ってしまうとすごくうるさかった。(これは絶対に女子校あるある。笑)


私はその雰囲気を多少面白がってはいたけれど、どこか慣れることが出来なくて気疲れもしていた。中学にあまり馴染めないで過ごしていたことから、高校は少人数制で静かなところがいいなと思って女子校を選んだ。だから騒がしい雰囲気に戸惑いがあったし、来るところを間違えてしまった!感が否めなかった。


「高校どう?」

 

面談で担任の女の体育の先生に聞かれた。その質問に対する自分の返事を今でも覚えている。


「今のところ大丈夫です。でも、5月病ってあるじゃないですか?私、あれの6月バージョンになりそうな気がしてて、これからがちょっと怖いなって思ってます。」


めちゃくちゃ生意気な口の利き方だ。でも、今思い返してみてもこの言葉は、今後もこの環境の中でやっていけるだろうかという不安と、来る場所を間違えた!感から出たイライラ気持ちのトゲトゲが合わさった出た、1ミリの嘘もない言葉だなと思う。


私は騒がしいクラスの中では1番と言って良い程おとなしかった。かなりの優等生に見えていたであろう私から予想外の返事を聞かされた先生は、目を丸くして


「…ほぉ。」


と言った。それも良く覚えている。


その後は「まだ早いけど、進路について何か考えてることはある?」というような話になり、私は「まだ全然考えていないけど、言葉が好きだから言葉について勉強したい気はする」と言った。体育の先生ということで少し身構えていたけど、先生は思っていたよりずっと優しかった。あまり長い時間は掛からずに面談は終わった。

 


その時は進路のことなんて全然考えていなくて、何となく興味のあることを喋っただけだった。けれど、高校卒業後の私が進んだのは、芸術系の教養学科のある大学だった。そこで、言語芸術作品について学ぶ4年間を送った。


その時の担任の先生の連絡先は、高校を卒業した時から今までずっとLINEの友達に登録されている(頻繁に連絡を取り合っている訳ではないけれど)。2年生になって担任でなくなった後も、廊下で声を掛けてくれる優しい先生だった。


それに、私は今でも5月より6月の方が断然憂鬱な気分になる。今でも6月病だ。

 

振り返ってみると、あの二者面談から今この時までに、これだけのことが繋がっている。そして何より、あの時パッと出た“6月病”という言葉からこんな文章を書いていることが我ながら一番の驚きだ。


未来は見えない。でも、未来はもうここにあるのかもしれない。少しだけ、そんな気がしている。雨ばかり降りませんように。今年の6月病は、あまり重くありませんように。

人生はネタだらけ!

ブログを開設して文章を書き始めてからまだ少ししか経っていないけれど、早くも気が付いたことがある。それは、書きたいことが尽きるのが怖い、という気持ちがもう私の中にあるということだ。

 

前々からブログをやろうと思っていたから、もし始めた時にはあれについて書こう!これについて書こう!というテーマが何本かあった。でも、それを全て出し切った後、私は何を書いていくんだろう…?と既に思ってしまっている。前々から書きたかったことは、頭の中で多少練れているから、「いやいや、まだ今これを出すのは早いんじゃない?」なんて思って、「もうちょっとしてから出した方がいいのかも」みたいに、手札を隠し持っているような感覚になってしまう。前回書いた最中のバニラアイスについては本当に日常の中の偶然の発見だったので、「これも書いて残しておこう!」というふうに書くことが出来たのだけれど、何というか切り札を減らさないための延命感?もあった気がする。


手札を隠し持って、出すべき時なんて来るんだろうか?それがいつなのかなんて私に分かるんだろうか?最近そんなことを考えてしまう。常に曲を書き続けている人、毎週毎日ラジオで話をしている人たちって本当に凄い。

 

じっとしていては尽きてしまうのは当然だから、やっぱり動き続けるべきなのかもしれない。そう思った私がまずしたこと。それはペディキュアを塗ることだった。先輩にもらった可愛い新品のマニキュアの封を切った。普段100均に売っているマニキュアしか使わない私は、少しお高めのマニキュアの深くて可愛い色に感動してしまった。家から出ないのに、誰に見せる訳でもないのに。


今の私からすれば、この行動は十分に大冒険で革命だった。いや、そう思っているのは私だけで、人はこれをただのネタ作りと呼ぶのかもしれないな。


でもまぁ良いのか。人生はネタ作りなのかもしれないし、それって案外正しいのかもしれないから。

最中の中のバニラアイスはダントツ

最近はずっと家にいる。

誰もいないので誰とも話さず、動かないのであまり食べず。

私は胃の容量が大きめなのか、苦しくならずに美味しくたくさんの量を食べることができる。だが、同時に太りたくないという気持ちも結構強く、いつも腹4分目くらいで我慢することになる。

 

空腹はかなりのストレスだ。でも、食べ過ぎた後や顔が丸くなったと感じた時の罪悪感はもっともっとストレスだ。だから、この2種類のストレスを比べてどっちの方が耐え難いかを考えた結果、私はあまり食べないという選択をしている。(でも、痩せ過ぎているということはなく私は至って標準の体型で、今は動かないので食べ過ぎないように意識しているというだけ)

 

今日、昼食後に何気なく冷凍庫を覗いたら(いや、これは明らかに物色)、ラップに包まれた8分の1の一番小さいかけらの最中のアイスが入っていた。家族の誰かが残した分だろう。

 

普段甘いものはほとんど食べないようにしている。でも、こんな小さいかけらなら良いかと思ってそれを口に放り込んだ。

 

めちゃくちゃ美味しい!!!私、初めて知ったんですが、最中の中のバニラアイスって他のバニラアイスと比べてもダントツで美味しくないですか?私だけ?私の主観??

 

結局、まだ開封されていない最中の半分(8分の4)も開けて食べてしまった。

 

甘いものを食べる、食べたら太るというストレスを、最中の中のバニラアイスの美味しさが上回った。そこには美味しさだけじゃなく、発見の喜びみたいなものもあった気がする。

 

ストレスやしんどさからは結局逃れられないけど、もうちょっと踏み込んでみたら何か見つかるのかもしれない。踏み込まなければ踏み込まないなりに、ダメージは最小に抑えられる。最中のバニラアイスは私を少しだけ幸せにしてくれたけど、やっぱり食べなかったら罪悪感はなかったと思うし、太りもしなかっただろうと思う。でも、少し幸せにしてくれたんだからまぁ良いじゃないか。ストレスがなくなったんじゃなく、ストレスを越えた感じがする。そう思った。

 

にしても美味しかった。ただのバニラアイスじゃなく、最中の中のバニラアイス。もう一度言う。最中の中の、バニラアイス!